1984年11月東京世田谷で創価学会日蓮正宗に入信
1985年7月7日都議会議員選挙
1985年7月21日横浜から出国
1985年8月26日米国バッファロー市郊外のニューヨーク州立大学付属英語学校に入学
1985年秋 現地の学会活動に参加し始める
すぐに文化祭の練習にはいる
1987年10月コロンバスデーパレードでブロードウェイを創価学会のトランペット隊一員として行進
1988年両親が来米し、ともにマサチューセッツ州ウースター市のパレードに参加
1990年7月帰国 日本の創価学会組織の所属しなおす
1991年11月28日日蓮正宗が創価学会を破門し日蓮正宗信徒から学会会員になる
1999年 市議会議員選挙に無所属で立候補 創価学会員や公明党議員から立候補断念を促される
2007年、2011年、2015年、2019年の市議選は、創価学会や公明党からのいかなるアプローチもなかった
2022年末 翌年4月の統一地方選挙に向けて座談会は選挙色が強くなるので座談会や犬山平和会館での会合への出席は控える
アメリカ創価学会の活動
当時の学会活動日課
朝の勤行 約30分
仕事
夕の勤行 約20分
夜の会合 毎週1回
常にストリート折伏
2,3か月に1度ニューヨークかボストンで会合
年に最低1度は大規模なパレードに参加
政治活動は一切なし
日本の創価学会の活動
月に一度の座談会(一般会員の場合)
座談会の進行
ビデオ鑑賞
大百蓮華の巻頭言を全員で読む
何か体験発表があれば
地区幹部が今月の御書を講義する 例えば12月であれば「新池殿御消息」
最後に支部以上の幹部が話をして最後に題目三唱して終わる
日本の創価学会半年前から
選挙モードに入る
候補者のプロフィールが配布される
電話や訪問で候補者の紹介をする
座談会などで成果報告をする
様々な会合で候補者の挨拶がある
本番では会員が選挙カーや事務所のお手伝いをする
信教の自由があり、政治的に守られねばならないという必要性や緊急性がない。アメリカでは布教活動していても、何も圧力がかからなかったのは信教の自由が守られていたからだろう。
日本は既に、飽和状態。ストリート折伏をアメリカですると、やる場所や折伏をやる人にもよるが、3対7くらいで聞いてくれる。しかし、日本で、創価学会に入りませんかといってもまず100%拒否だろう。
宗教的に飽和状態で、会員数を増加させることが難しい中で、学会が信仰心を継続させ高める方法はとして、選挙は、ツールとして傑出している。公明党としても、無償の支援が得られるならば大歓迎。その代わり、党として、学会を法的政治的に守ることが求められる。
1999年 市議会議員選挙に無所属で立候補 創価学会員や公明党議員から立候補断念を促される
2022年 江南で学会員が市議に立候補する動ぎをするとそれを止める動きを公明党議員が行った
日蓮大聖人は、立正安国論の中で「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」とおっしゃり、1279年9月21日熱原の法難では、滝泉寺院主代の平行智が、が念仏を守るため、農民20人を無実の罪で逮捕し拷問にかけられたが、一人も退転することがなかった。これを受けて、真に法華経の行者として不惜身命の民衆の出現をたたえられた。
学会員が自らの意思で仏法を根底にした倫理観や手法で地方政治を担おうとすることはまさに熱原の法難にあった農民たちの思いと同じではないかと思う。それを公明党が問題視することは、問題があるように感じる。
献金について
アメリカ創価学会
週間新聞紙代と月間誌代のみで献金はなかった
日本の創価学会
聖教新聞と大百蓮華代
御書代
人間革命(単行本数十冊)
仏壇は数万円のものからおそらく数百万のものまで
数珠もピンキリだろうが私のは2000円位
年末に交付基金というのがあって自由に寄付する
強制感は全くない
どちらも何か物品を買わされるということもない