今回の決議文を作成し、議員各位の同意を得る努力をされた皆様に対し敬意を表します。また、その根底には世界平和を望む思いがあることは理解します。

しかしながら、いくつかの点で私は今回の決議に関して同調できないと感じましたので、その理由をここで述べます。

 

 まず、職務分掌の観点からです。我々は、末端の地方議員です。我々以外には、県議会議員がいて、国会議員がいる。それぞれがそれぞれの役割を持っていると思っています。まずは、それぞれが自身の役割は何なのかをしっかりと把握することが必要であろうと思います。我々の責任は、目の前の住民の毎日の生活が安全で安心してそして快適に暮らせる環境を整えることであろうと思います。令和2年3月議会の時の請願の核兵器禁止条約批准に反対した時の理由は、国際問題については、国がその責任を負っていると思うので、国がそして国会議員が責任をもって最初から最後まで作業を進めるべきであろうという考えは今も変わっていません。

 次に、メディアについてです。国際問題が地方でも語られるようになったのは、メディアが1980年代あたりからより多くの外国の事象について日本でも情報を流すようになったからであろうと思います。おそらく、多くの日本人フリージャーナリストが世界に散らばり、様々な紛争地域に勇敢にも入り込んでそこで様々なリポートをし始めたからかもしれません。しかしながら、このメディアの流す情報は、本当なのでしょうか。いくらその現場にカメラをもっていったとしても、そこに立った者の考え方を通して、視聴者に見させたいように報道するケースが多いことが最近私も分かってきました。ですから、その取材した人の視点からすれば本当ですが、また他の人が取材したらまた違った視点で見るかもしれないのです。また、その素材をどのように番組に仕立て上げていくか番組制作者の意図によっても大きく真実とは異なってきかねません。メディアには視聴率競争というのがあります。ですから、より衝撃的な映像を流したいという思いが、製作者には生まれてきてしまいます。ですから、ほんの一部の偶発的な事象が全体を象徴するように視聴者に印象付けることもできていくわけです。


 我々のどれだけが、実際にウクライナで何が起こっているかわかっているでしょうか。私は、全く自信がありません。私は、自分の目で見自分の耳で聞き自分の肌で感じたもの出ない限りなかなか信じられない偏屈者です。ですから、何がどうなっているかわからないのに、一方を非難する自信はありません。残念ながら、私にはどちらがどうという事はわからないというしかありません。
 

 政治家であれば、イエスかノーかはっきりしろと言われることはよくあります。しかしながら、よくわかりもしないのに、なんとなく、テレビで言っているからとかネットで言っているからとか、他の議会が出しているからとかいう理由でこういった決議文を出すことに私は自信がありません。

 

 なぜ人類は、地球の歴史で最も優秀な頭脳を持ちながら、未だに戦争というくだらない問題を乗り越えられないのかの答えを究明し、国際紛争を暴力を使わずどのように解決していくかを見出すべきです。それは一国を非難するような決議文では実現されません。日本そして日本国民が知恵と勇気を振り絞って世界平和を実現する原動力となっていくことを願って反対討論とします。